大阪万博インドネシア館における「美術」展示の調査
1970年の大阪万博は、第二次世界大戦後に日本で開催された中で最高の国際博覧会であり、「人類の進歩と調和」をメインテーマとして、77カ国から116のパビリオンが出展した。その中には、1968年にバンドゥン工科大学がBAPPENAS(国家開発企画庁)からの委託を受け設計したインドネシアパビリオンも含まれる。 本リサーチは、参考資料や記録の収集に焦点を当て、当時アーティストやスタッフとして関わったインドネシア人や日本人へのインタビューを通して、第4展示室のアート展示のコンテンツを調査。サブテーマである1970年頃のインドネシア人の現代生活を表していた第4展示室は、伝統的なアートワークとモダンアートが統合されており、諸外国、とりわけ、アジアの芸術史の文脈で関わりのあった国に向けたインドネシアのコンテンポラリーアート(現代芸術)の最初の総合的な展示であった。言い換えると、この美術展示は、インドネシアの文化的アイデンティティの歴史を展示し、インドネシア政府の文化政策に合わせただけでなく、70年代初期のインドネシアのアーティストの芸術的戦略としてコンテンポラリーアート活動を表現した共同作業という背景があるとも解釈できるだろう。
(2016/7/25 - 2016/8/8は私費にて活動継続)
- 主な活動地
- 福岡、大阪、東京
- 受入機関/協力者
- 後小路雅弘 (九州大学大学院人文科学研究院 教授)
- 福岡アジア美術館
- 日本万国博覧会記念公園事務所
- 大阪大学総合学術博物館
- 中川勝弘 (元大阪万国博覧会協会職員)
- 東京国立近代美術館工芸館